EV.Café 超進化論

書名:EV.Café 超進化論

著者:村上龍 坂本龍一

 

10年以上前に購入し、積読になっていたが、断捨離のため斜め読みをした。菊池成孔の影響で、ニューアカデミズムに興味があったので、購入したのだと思う。

 

■新しく知った知識/視点(書籍本文の引用/一部編集)

村上龍

・ポップということは大工場でどんどん生産して物ができるわけだから、結局、すべてがブロイラーなわけですよね。そこに血とか汗とか涙とかいうものはなくて・・、人工的なものがどんどん送り込まれてくるわけです。それを引き受けてアートしたのがポップアートだと思うんです。

・日本に仏教なりキリスト教なりマルクス主義なりが入ってくるときにはすべて文物として入ってくるとかって言うじゃない。・・俺の体験でアメリカだけは文物じゃなかったと思うわけ。文物じゃなくて混血児だと思うんだよね。混血児ができれば文物じゃないと思うんだ。

 

坂本龍一

・人間の官能に訴えるパターン・・。モーツァルトぐらいまでは何となくわかる・・。でも、それ以前になると、人が何故この音の動きに感応していたのか分からない・・。

・「ブレードランナーレプリカントの場合は記憶を企業によってプログラムされていて、寿命が4年しかない。人間の場合もDNAというシステムや文化とういうシステムによって記憶がプログラムされているわけで、寿命が70年であるというだけの数値の違いだけしかない。

・テクノロジーが進歩して、外部というのがなくなってくるわけ(※)。すべてが内部になってくる。そうすると。脳の情報が持っているイデア、青写真なくしてテクノロジーは動かないわけで、しかも、それを完全に実在化することに極端に走っていくわけね。(※註:他人の力を借りなくても、一人で作り上げることができるということか)

 

河合雅雄

・草食獣は集合して仲良くするという親和性をもとにした社会をつくっているが、肉食獣は拮抗性とか争いとかそういうものを基調にした社会を作っている。草食獣的な傾向というのはいわば善の方向、肉食獣的な傾向はいわば悪の方向。両方持つ変な動物が人間なんです。

・牧畜と農耕という生業が出てくるのが一万年位前。それ以前の狩猟採集社会とどこが違うかといったら、一つは貯蔵ということ、つまり所有ということです。今の狩猟採集民というのはほとんど所有欲がありません。

 ・ただの思弁じゃなくて、とにかく対象の中に自分を放り込んでみて考えるということが、「考える脚」だと思う・・。

 

浅田彰

・日本は極度の集積性、ものすごい加速の累積性みたいなことで質的に違うものをうむんじゃないか。・・アメリカはパワフルなんだけどさ、でかいということは拡散しているということでもあるしね。日本は非常にひ弱なんだけど、小さいところでガーッっと集中的にやってるから、なんかわけの分かんないブレークスルーが起こる可能性がある。

・あらかじめ感性というものがあるとか、テクノロジーがそれをあとから破壊するとかというのは嘘で、実際にはカメラ・オブスクラとフェルメールとか、連続写真とフランシス・ベーコンとかの関係を見ればわかるように、テクノロジーこそが完成をつくるとうことがある

 

 ■感想

混血児としてアメリカが日本に入ってきたという村上龍の発言が印象的だった。彼にとってのアメリカ原体験なのだろう。浅田彰の鋭い指摘は、現代にも重要な意味を持つと感じる。サルとの差異/共通点を通して、ヒトとは何かを見つめる河合雅雄の視点も面白い。

全体としては同時代に読むべき書籍と感じる。自分の理解力不足、知識不足は棚に上げるが、対話集ということもあり、行間に含まれる時代の空気を読み解けず、十分、理解ができない部分もあった。

 

個人的な評価:★★☆☆☆(2)