葉隠入門

書名:葉隠入門

著者:三島由紀夫

 

学生時代、三島由紀夫が最も好きな作家だった。彼の修飾の多い華麗な文章を読み進めることで、頭の中に想起されるイメージに幻惑されるような感覚が大好きだった。

久しく小説を読むことも無くなってしまったが、没後50年ということで、昔読み始めて途中になっていた葉隠入門を再度手に取って読んでみた。若い自分には、人生訓は読み心地が良くなく、途中で辞めてしまったのだと思う。

 

■新しく知った知識/視点 (書籍本文の引用/一部編集)

三島由紀夫解説部分 

・しかし死だけは「葉隠」の時代も現代も少しも変りなく存在し、われわれを規制しているのである。(中略)毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じだということを「葉隠」は主張している。われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。

・時は人間を変え、人間を変節させ、堕落させ、あるいは向上させる。(中略)毎日毎日これが最後と思って生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いている生の哲学の根本理念である。

・人間の自由意志の極致に死への自由意志を置く。

・もし思想が勘定の上に成り立ち、死は損であり、生は得であると勘定することによって(中略)、自分の内心の臆病と欲望を押しかくすなら、それは自分のつくった思想をもってみずからを欺き(中略)、ことにほかならない。

・近代人の誤解は、まず心があり、良心があり、思想があり、観念があって、それがわれわれの現行にあらわれると考えていることである。(中略)。ほんの小さな言行の瑕瑾が、彼自身の思想を崩壊させてしまうことを警告している。

・外面の哲学が美の哲学と結びつく

 

〇山本常朝原著部分

・きのうよりは上達した、きょうよりはさらに上達した、といって、一生のあいだ日々仕上げていくものなのである。修業とは、このように終わりのないものと言えよう。

・馴れしたしむようになっても、はじめて会ったころのように、慎みの心をもって接すれば、仲たがいなど起こりはしないものである。

 

 ■感想 

三島由紀夫の最後までに至る日々は、「死を敗北としてではなく、完成の頂点としてとらえる」ための日々だったのだろう。”死"を参照点として、"死"に照らされた今を"生"きるという考え方は、スティーブ・ジョブズの「今日が人生最後の日なら、」の言葉にも相通じるところがある。

三島由紀夫の小説に高い評価をしている個人的なものさしからすると、評論作品ということで評価は低めになってしまいました。

 

個人的な評価:★★★☆☆(3.0)